思い出話々

このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
藤田淑子さんは文藝春秋の編集者です。『ガセネッタとシモネッタ』以来、米原万里の担当者として多くの作品を本にしてくれました。 2017.2.1

◆藤田淑子
米原万里さんの忘れられない言葉 その3
「味はイマイチでした」


  近藤先生の外来に行ってから一年と少し経った頃、また米原さんから電話があった。もう一度、先生に診てもらいたいという。
「鼠径部のリンパ節が腫れているみたい」
  なんともいえない不安な気持ちになった。再び、外来にご一緒する。
「再発と考えるべきでしょう」
  との言葉に、文字通り打ちのめされた。
  病院を出てから、何と言っていいのか、かける言葉が見つからない。
  しばらく黙っていた米原さんが、ふっと顔を上げた。たしかに微笑みながら、こう言ったのだ。
「さあ、家に帰らなければ。犬も猫も、みんな私を待っているから」
  リュックを背負った米原さんは、くるりと後ろを向き、駅のほうへと歩み去った。

  それからも何度かお目にかかったはずなのに、あまり記憶が定かではない。免疫療法を試されたり、ロシア製の抗がん剤を試されたりしていたようだった。
  食欲がなくなってきてからも、「アメリカン・クラブハウス・サンドイッチ」を食べたいというので、田丸さんがキャピタル東急の「オリガミ」で調達して届けたりしていた。これは最近聞いた話だけれど、TBSの金平茂紀さんは「東京で一番おいしいショートケーキ」を持ってきてと言われ、探し回ったそうだ。
  何か召し上がっていただけるものはないかと思い、知人に紹介してもらった静岡のメロン農園からマスクメロンを送った。
  一週間ほど経った頃、ハガキが届いた。
「おいしそうなマスクメロンをありがとう。でも、味はイマイチでした」
  と元気な字で書かれていた。
  それが、米原さんから届いた最後の便りとなってしまった。
(おわり)


万里は発病以来、『週刊文春』に連載していた「わたしの読書日記」に、自身の病気治療について幾度か言及した。その原稿を収めた書評集『打ちのめされるすごい本』は、没後、藤田さんの手によって編集、出版された。

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プロフィール

藤田淑子(ふじたよしこ)
1989年、文藝春秋入社。女性誌「CREA」に配属される。ペレストロイカ末期の旧ソ連を取材し、帰国後に新潮社の雑誌「03」でソ連取材の通訳・コーディネーターとして「米原万里」と書いてあるのを見て、「この人に頼めばよかった」と思ったのが、米原さんとの出会い。その後、出版局でノンフィクションの単行本を担当し、『ガセネッタ&シモネッタ』『旅行者の朝食』『打ちのめされるようなすごい本』『終生、ヒトのオスは飼わず』『偉くない「私」が一番自由』などを刊行する。
 
『思い出話々』とは

米原万里のエッセイ「単数か複数か、それが問題だ」(「ガセネッタとシモネッタ」所収)に由来する。

ロシアからやってくる日本語使いがそろいもそろって「はなしばなし」という奇妙な日本語を口走る。(略)…この日本語もどきの版元が判明した。日本語学の第一人者として名高いモスクワ大学某教授。 「日本語の名詞にはヨーロッパ諸語によくある複数形はない。しかし一部の名詞にはインドネシア語などと同様、反復することによって複数であることを示すルールが適用される。たとえば、花々、山々、はなしばなし……」