思い出話々

このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
昨年(2016年)二月に93歳で亡くなった戸田優子さんは、万里の母―美智子の女学校以来の無二の親友であり、若いころの万里の憧れの人でもあった。家族ぐるみの親交を結んだ当時の思い出を、ご主人の戸田忠祐さんにうかがった。 2017.10.4

◆戸田忠祐×井上ユリ(2)

戸田忠祐(以下、戸田)  まりちゃんはチェコから戻って、なかなか日本社会に適応できなくて悩んでいたんだよね。おばちゃんがその悩みのいい聞き役だったみたいだよ。二人でけっこう連絡取り合っていてね。おばちゃんは東京に行くと、お宅に泊まっていたし、そういう時に話し込んでいたのかもしれないね。
井上ユリ(以下、ユリ)  そうかもしれない。お宅に遊びに行っているときも、おばちゃん、わたしたちの部屋におしゃべりに来てくれてた。わたしは本読みながら寝ちゃったりしていたけど、まりはお話していた。
戸田  まりが浪人のとき、ウチにしばらく下宿したんだよね。
ユリ  まりは二浪したんだけど、その二年目、予備校には行かず、盛岡の戸田家に居候して勉強する、と言い出して。母も知らない内に自分で優子おばちゃんと話を付けちゃって。
戸田  まりには今もある玄関上がってすぐ左の部屋を使ってもらった。朝ご飯を食べた後、毎日、県立図書館に出かけて、夕方まで勉強していたんだ。でも朝が苦手な子だね。おじちゃんは毎朝七時半に仕事に出かけていたんだけど、出がけに部屋をトントンして「まり、朝だよ、おじちゃん行ってくるからね」って声かけていたね。
ユリ  まりはほんとに朝が弱かった。というか、夜はつい本を読んでしまうし夢中になる性格だからいつも寝不足気味だった。
戸田  ある日突然、「自分はお世話になっているのに、何もしてあげられない」、「戸田家にお返ししたいから」とロシア語教室を始めてね。
ユリ  テキストは?
戸田  NHKのロシア語講座のテキストを使ったんだ。上の桂は八戸工専に行っちゃっていなかったたから、私たち夫婦と純が生徒になってね。今となってはあのとき習ったことは何も覚えていないけど。
 ダンサーになりたかった、といって踊りを見せてくれたことも何回かあったね。
ユリ  まさか踊りも教えたとか?
戸田  いやいや、踊りは見せてくれただけ。むこうの学校には踊りの時間があったとかで、上はブラジャーだけで腰にみのみたいなのつけて踊ってくれた。
ユリ  う~ん、まりらしい、というか…
戸田  あの頃のまりはほっそりで、とてもスタイルが良かった。
浪人時代に万里が描いた戸田さん。

戸田  まりはときどき絵を書いた。わたしと純の顔をスケッチしてくれてね。今でも大事に取ってあるんだ。
ユリ  おばちゃんとは話こんだりしていた?
戸田  おばちゃんにはいろんな相談もしていたみたい。お母さんと折り合いが悪く、すぐけんかしちゃう、とか。おばちゃんがそのことではずいぶんまりをたしなめていたのをおぼえているよ。
二人は論争もしたね。宗教、というより思想的なことかな。まりはまだ若いし、おばちゃんはものをよく知っているし、二人とも気が強いから、けっこう激しくやっていた。でも勝てないもんだから、まりちゃん悔しがっていたね。
家に来たのが五月ぐらいで、夏が過ぎて、十月ぐらいまでいたかな。
ユリ  翌春、おかげさまで東京外語大に合格して、それからは学生生活に夢中で、連絡も行かなくなっていたでしょう。
戸田  そうだね。大学入ってからは、行き来はなくなったね。もちろんおばちゃんと美智子さんは変わらず仲良かったけど。
まりちゃんとはあの子が物書きになってから、またよく連絡取り合うようになった。授賞式にもいつも呼んでもらったし、盛岡にも訪ねてきてくれた。そうそう、最後に盛岡に来たのが、ロシア語通訳仲間で盛岡在住の黒岩幸子さんと。帰り際に玄関わきの思い出ある扉をドンドン叩いてお別れしていたよ。
いい子だった。まりは。
ユリ  わたしがおばちゃんとゆっくりお話した最後はまりの大宅賞の授賞式のときかも。
おじちゃんはドゥマゴ賞のときに来てくれて、それからまりが病気になったときにわざわざお見舞いに盛岡から来ていただいたのに、もうあのときは人に会う状態ではなくなっていて……でもすごく嬉しかった。ありがとうございました。
戸田  ウチは息子二人だから、まりとユリのこと、わたしたち夫婦はずーっと娘だと思ってきたからね。
1994年、読売文学賞授賞式で戸田優子さんと。

2002年、盛岡の戸田さんを訪ねた。

プロフィール

戸田忠祐
1928年(昭和3年)岩手県雫石町の小岩井農場で生まれる。盛岡高等農林専門学校卒。獣医師、農学博士(東北大学)。岩手県に畜産部門研究職として勤務ののち、畜産技術コンサンタルトとして、東南アジア、アフリカ、中近東、中南米に勤務。趣味は水彩画。現在は自宅にギャラリー『ダダの家』を開設、地元の画家のみならず、心に響いた画家たちの作品展を開いている。
 
『思い出話々』とは

米原万里のエッセイ「単数か複数か、それが問題だ」(「ガセネッタとシモネッタ」所収)に由来する。

ロシアからやってくる日本語使いがそろいもそろって「はなしばなし」という奇妙な日本語を口走る。(略)…この日本語もどきの版元が判明した。日本語学の第一人者として名高いモスクワ大学某教授。 「日本語の名詞にはヨーロッパ諸語によくある複数形はない。しかし一部の名詞にはインドネシア語などと同様、反復することによって複数であることを示すルールが適用される。たとえば、花々、山々、はなしばなし……」
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