思い出話々

このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
昨年(2016年)二月に93歳で亡くなった戸田優子さんは、万里の母―美智子の女学校以来の無二の親友であり、若いころの万里の憧れの人でもあった。家族ぐるみの親交を結んだ当時の思い出を、ご主人の戸田忠祐さんにうかがった。 2017.8.17

◆戸田忠祐×井上ユリ(1)

ユリ  優子おばちゃんは東京の生まれ育ちで、戦争中に盛岡に疎開したのでしたね。
戸田  昭和二十年に東京を焼け出され、親戚を頼って盛岡に来て、そのまま戦後も盛岡に残ったわけ。英語ができるので、県を介して盛岡の駐留米軍基地で働いた。当時通訳ができる人が足りなくて、ずいぶん強く頼まれたようだよ。
ユリ  そこで働いているときにおじちゃんと出会って、後に結婚するわけね。
戸田  正確にいうと、盛岡に駐留していた米軍が八戸に移った基地で僕たちは出逢い、昭和二十五年に結婚。その翌年、優子は久しぶりに東京に行って、知り合いに会って結婚の報告をしてきた。で、戻ったとき
「北田美智子さん、米原さんと結婚していたわ」って言っていた。
ユリ  優子おばちゃんとうちの母は、第六高女、今の都立三田高校で知り合ったのね。もう太平洋戦争も迫っていたけれど、母が語る女学校時代の思い出は実に充実していて楽しそうだった。演劇をやったり、テニスに夢中になったり。二人は教会に一緒に通ったらしいし、哲学を語り合っていたようで、わたしたちが同じ年齢のころよりずいぶん大人びていた、と感じていました。
戸田  優子に聞いていたが、女高師時代のお母さんは弓道にも凝っていたそうだね。キリリと弓を引いた雄姿の写真もどこかにあるよ。

第六高女時代の優子(左)と美智子(右)

ユリ  優子おばちゃんは東京女子大へ、母は女高師(女子高等師範、今のお茶の水女子大)へ進むんだけど、相変わらず仲良しで、一緒に行ったバイト先の通信教育塾(育英社)で私たちの父、米原昶と知り合うことになった。
戸田  その「育英社」には、暗い感じの絵を描いている人がいて、その後それが松本竣介さんだとわかったそう。 久しぶりに東京で会ったときから美智子さんとの交流が復活して、それぞれに子どもに恵まれ、家族ぐるみで行き来するようになったわけ。子どもの年も、まりの一つ下がうちの桂で、その二つ下がユリで、また一つ下がうちの純で、という具合に近かったし。
戸田  私の酪農の仕事でしばらく暮らした滝沢村にも遊びに来てくれたね。種畜場の公務員宿舎はずいぶんみすぼらしかったけど、二部屋しかないあの家にみんなで寝て。一番初めに訪ねてくれた時は純がまだ涎掛けの時期で、ユリさんも2.3歳だったと思う。
ユリ  チェコに行く前にも行ったと思うの。わたしは幼稚園か学校に上がったばかりかの微かな記憶なんだけど、牧場にサイロがあって、干し草の中で遊んだことを覚えている。 あと、わたしは未だに牛乳をそのまま飲むのが苦手なんだけど、毎朝牛乳が出て、飲みたがらないからおばちゃんに叱られたこともなつかしい。
戸田  あるとき、子どもたちでしり取りをして遊んでいるのを見ていたら、まりだったと思うけど「レーニン」とか「スターリン」とか言うもんだからうちの息子たちは面食らっちゃって 「そんな言葉なんかないよ!」って。 まりはまりで「レーニンも知らないの?」ってちょっと馬鹿にして、おかしかったね。
ユリ  それは近所の子たちにもヒンシュク買っていたみたい。 「社会主義」とか「細胞」(共産党の末端組織の当時の呼び名)とか言っちゃって。
戸田  チェコから帰ったときも遊びに来てくれたね。 あのとき、おじちゃんが二人を種畜場の外山牧場に連れて行って、地元の子たちと一列に並んで牧草の種まきの手伝いをしてもらったけど、写真もあるけど、覚えてる? あの時の牧草の種まきには、県の予算が付いていたから、地元の子と一緒に、まり、ユリにもちゃんと日当をあげたよ。恐らく500円以内だったと思うね。 ユリ  地元の子たちの言葉がよく聞き取れなくて困ってね。「盛岡」みたいな地名はわかるんだけど。あのころは今よりずーっと訛りが強かった。牧場でトラクターにも乗せてもらったよね。 冬に伺ったときはお宅の前の坂道を登っていって、スキーをして遊んだ。

戸田  優子のキリスト教への造詣は並外れて深かった。本人は終生、洗礼も受けずノンクリスチャンだったけど。母方のおじいちゃんがロシア正教の司祭だったこともあって、ロシア正教の聖地レニングラードに出かけたことがあった。ナホトカまでは船旅で、出航のとき、まりが横浜の大桟橋まで見送りに来てくれたんだよ。おばちゃんが船から埠頭のまりを撮った写真が家に残っている。
ユリ  そんなことがあったんだ。
(つづく)
プロフィール

戸田忠祐
1928年(昭和3年)岩手県雫石町の小岩井農場で生まれる。盛岡高等農林専門学校卒。獣医師、農学博士(東北大学)。岩手県に畜産部門研究職として勤務ののち、畜産技術コンサンタルトとして、東南アジア、アフリカ、中近東、中南米に勤務。趣味は水彩画。現在は自宅にギャラリー『ダダの家』を開設、地元の画家のみならず、心に響いた画家たちの作品展を開いている。
 
『思い出話々』とは

米原万里のエッセイ「単数か複数か、それが問題だ」(「ガセネッタとシモネッタ」所収)に由来する。

ロシアからやってくる日本語使いがそろいもそろって「はなしばなし」という奇妙な日本語を口走る。(略)…この日本語もどきの版元が判明した。日本語学の第一人者として名高いモスクワ大学某教授。 「日本語の名詞にはヨーロッパ諸語によくある複数形はない。しかし一部の名詞にはインドネシア語などと同様、反復することによって複数であることを示すルールが適用される。たとえば、花々、山々、はなしばなし……」
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