思い出話々

このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
金平茂紀さんはTBSモスクワ支局に赴任が決まると、ソ連についてのレクチャーを万里から受けるよう上司に命じられ、二人は知り合う。そしてゴルバチョフに対するクーデターからソ連崩壊までの激動期、モスクワで何度も一緒に仕事をした。このとき育まれた信頼と友情は万里が亡くなるまで続いた。
2018.8.19

◆金平茂紀
死者と生者のバトン・リレー(2)


  前述の『メディア論の彼方へ』には実は前身があって、1991年頃からのTBSモスクワ支局長時代に「特派員だより」のようなエッセイを『調査情報』誌に毎月連載していたのだった。この連載は、実はその後、「筆禍事件」の舞台となり、僕は当時TBSからけん責処分を受け、連載はただちに中止、『調査情報』誌の発行が停止してしまうという大事件となった。僕が書いた対読売新聞社・佐川急便事件の報道で、会社批判を同エッセイで展開したのがけしからんというのが処分理由だった。このことは書きだすと長くなるのだが、「これは黙っていられないので書きます」と万里さんとも相談していた記憶がある。何しろ万里さんは曲がったことが大嫌いなので、どんどん背中を押してくれた。問題個所をカットした連載の文章は、のちに筑摩書房から『ロシアより愛をこめて』というべたなタイトルで単行本として出版されたが、その出版で帯文を書いてくださったのが作家の井上ひさしさんだった。モスクワからの記者リポートぶりを手放しで激賞していただいて、こちらが恥ずかしくなるほどだったが、その井上ひさしさんの令夫人となられたのが、旧姓米原ユリさんで、万里さんの妹さんだ。今、このHPを運営している張本人であらせられる。
  井上ひさしさんとは、それ以前から(確か文部省記者クラブ当時だから1986年くらいからか)、面識を得ていたのだが、「若気の至り」と言うか、僕がまだ若かった頃、マスコミ関係の業界雑誌のひとつに「業務日誌」のようなものを連載していたことがあって、2年くらい続けていた気がするけれど、そのコピーを井上さんのところに持ち込んで「読んでください」と言い出すという無礼千万なことをやってしまった記憶がある。ああ、恥ずかしい。ひさしさんはニコニコしながら、「こういうものはどんどん書いた方がいいんですよ」とか言ってくれたような記憶がある。僕が「こういうもの」を書いたきっかけは、元共同通信のジャーナリスト原寿雄さんの名著『デスク日記』に触発されたことだったと思う。その原寿雄さんが、先頃(2017年12月)亡くなられた。92歳だった。たくさんのことどもをいただいた。その最も大きなものは、持続する<批判精神>だ。
  こうしてみると、死者と生者のあいだには幾層にも織り込まれた交流のネットワークのようなものが形作られていて、僕はそのなかのひとつの点にすぎないことに納得するのだ。「若気の至り」のついでで思い出したのだが、学生の頃に読んだカール・マルクスの『経済学哲学草稿』(だったかなあ?)のなかに「人間は社会的諸関係の結節点である」という主旨のことが書かれていた(と思うんだけれど)。晩年の万里さんも口にしていたが、世界に対する総合的な思索ということではマルクスを超える思想家はまだ出てきていないのではないか、と。原さんから受け継ぎたい、持続する<批判精神>をこれからどう展開し、バトン・リレーしていくか。人生は有限だが、<類>としての人間はまだまだ先があるのだから。
  というわけで、僕の「生」は、万里さんをはじめとする多くの死者から受け継いだもので成り立っている。万里さん、僕もいずれそちら側に行きますよ。嫌な顔、しないでくださいね。あ、それは今、僕がどういう生き方をしているかによるな。
(了)

    
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プロフィール

金平 茂紀(かねひらしげのり)
1953年北海道生まれ。77年TBS入社、報道局社会部、91~94年モスクワ支局長、 94~2002年「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、02~05年ワシントン支局長。04年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。報道局長、アメリカ総局長などを歴任。16年退社、 顧問に。2010年より「報道特集」キャスター。2013年より早稲田大学客員教授。 著書に『ロシアより愛をこめて』『ホワイトハウスから徒歩5分』『テレビニュースは 終わらない』『沖縄ワジワジー通信』『抗うニュースキャスター』『白金猿』他多数。
 
『思い出話々』とは

米原万里のエッセイ「単数か複数か、それが問題だ」(「ガセネッタとシモネッタ」所収)に由来する。

ロシアからやってくる日本語使いがそろいもそろって「はなしばなし」という奇妙な日本語を口走る。(略)…この日本語もどきの版元が判明した。日本語学の第一人者として名高いモスクワ大学某教授。 「日本語の名詞にはヨーロッパ諸語によくある複数形はない。しかし一部の名詞にはインドネシア語などと同様、反復することによって複数であることを示すルールが適用される。たとえば、花々、山々、はなしばなし……」
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