思い出話々

このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
集英社の清川桂美さんは、新書『必笑小咄のテクニック』『米原万里の「愛の法則」』の担当編集者です。(財)一ツ橋文芸教育振興会主催の「高校生のための文化講演会」に万里がよばれた際にも同行。その時の思い出話を数回にわたって掲載します。 2016.9.1

◆清川桂美
忘れられない3つの高校講演会
《犬》の四国講演会(1)


――日本一のブリーダー
  2004年10月初旬、初めてお供した四国での高校講演会は、講演そのものは穏健・順調でした。2泊3日のスケジュールで初日に空路、四国入り。2日目に愛媛県・3日目に香川県、午前と午後で2校、合計4回の講演をこなしました。
  松山空港に着陸直前、万里さんはバックをごそごそしてラピスラズリーのネックレスを取り出しました。「あなたもいる? もうひとつ持ってきたから」と、やや短めのをさっと私に手渡してくださり、「魔除けにいいのよね」とぎゅっと握り締めています。同時通訳や会議通訳で大活躍、飛行機で世界を飛び回っているとばかり思っていたので、意外でした。じつは飛行機が大の苦手だそうです。もちろん必要とあれば乗るけれど、来日したロシア要人の同行や会議など、なるべく仕事は国内でして、移動の際にもできるだけ飛行機は避けているとのことでした。

  初日の予定は松山空港から四国中央市(愛媛県東端、他の四国3県に接する都市で製紙業が盛ん)のホテルに車で移動して、共催の愛媛新聞社の方々と打合せ・会食。
  車中、突然に万里さんから提案があって、途中通る寒川(さんがわ)町にあるグレート・ピレニーズの犬舎に寄り道することになりました。万里さんは事前にネット検索で調査済みだったようで、繁殖犬が何度も日本一に表彰された実績がある犬舎で、住所だけを頼りに進みました。途中だからということで承諾したのですが、東西に走る幹線道路・国道11号からほぼ直角にどんどん離れて山に向かい、日は暮れてほとんど街灯もなく人家もまばらになり、もう諦めようかという時、やっと辿り着きました。外見はごく普通の一軒家と囲いのついた小さな公園のような庭。犬の吠え声でここだ、とわかりました。
  車が停まる音を聞いて、犬たちがいっせいに吠えはじめ、私たちのいる塀のほうに走ってきました。高校講演会の進行・手配を何から何までお世話してくれているエージェントのK嬢は固まりました! あとで聞いたのですが、犬は、特に大きい犬はコワイのだとか。知らずに気の毒なことをしました。
  案内されて玄関に入ると、家はすっかり犬舎に改造され、床はなくすべて三和土(たたき)。1階はキッチンと犬の部屋で、障子や襖の代わりに金網のドア。ブリーダーご夫妻は2階で寝ているとか。廊下を大きな犬が好きに走り回っていました。庭にはトンネルのあるコンクリートの築山があって、地面には古タイヤがいくつも置いてあり、真っ白い毛のむくむくした大型犬、グレート・ピレニーズが20匹以上、自由に遊んでいました。犬たちの個性を見極めようと万里さんは30分近くも犬たちを眺め、そばに来た犬の頭をなでたり、手をなめさせたりして終始ニコニコ顔でした。「きゃぁ~っ!」というK嬢の叫び声でやっとお開きになったのですが、K嬢は息も絶え絶え、「犬がっ、食べちゃった!」と卒倒寸前でした。私もちょうど目撃したのでギョッとしましたが、万里さんはヘッチャラチャラ。「子犬はよくあるのよね。ウンチ、平気で食べちゃうの」

    
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