思い出話々

このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
中尾博行さんは東京外語大時代からの、生涯にわたる万里の友人。いつも美味しい和菓子を携えて家に遊びに来てくださっていた。ミラノに赴任中は母も私も大変お世話になった。(井上ユリ)
2019.8.1

◆中尾博行
米原万里さんの思い出(3)


  東京銀行・合併後の東京三菱銀行合計三十年勤め上げて、新しい一般企業に勤務することになって、万里さんに電話すると、鎌倉の御殿に招かれることになりました。TBSのアナウンサーをされていた方と一緒でした。万里さんが自ら図面を引き、建てたという渾身の家、広い庭、そして文筆活動によって命を削りながら格闘の日々を送っている書斎等々を拝見させていただきました。家にはエッセイや毎年の年賀状に登場する犬・猫も同席していました。そして夕方には彼女の手料理でとても美味しい夕食を頂戴しました。別れの最後に彼女は私をこう励ましてくれました。「中尾君のことだから、どこでも上手くやって行けるのよ」と。その後私は第二の職場、今勤務している第三の職場と十五年近く働き続けているのですが、今になってこの言葉の意味するところがようやく分かりました。「私(万里)と長くお付き合いできる人は、人間関係耐性力があるのよ」と。
  言うまでもなく、私の強靭な(?)忍耐力だけで万里さんとの友人関係が続いていたわけではありません。権威・権力に阿ねることのないところ、決して偉ぶることのないこと、弱者への共感、多数意見に決して惑わされることのない自分の羅針盤をもっていることなど、私の感性に通底するものがあるからこそ長くお付き合いできたのだと思うのです。そして何よりも、その生き方を大いにリスペクトしていましたから。

2003年、『オリガ・モリソヴナの反語法』で受賞したドゥマゴ賞の受賞パーティーにて

  最後に万里さんとの長い交遊を通しての、とっておきの忘れがたい思い出を綴り、この稿を締め括りたいと思います。
  1989年~94年までイタリアに駐在していた頃に、お友達二人を連れ添ってミラノの私の元にやって来たことがあります。欧州旅行の途次でミラノに立ち寄ったのです。私は日本からの訪問者には、駐在員の常として、知られざるミラノの探訪を必ずお薦めしたものです。「ミラノ・ナイトツアー」と称するものです。ミラノナイトライフは地味なもので夜遅くから(早くとも夜八時から)始まるイタリア料理のフルコースを三時間くらい掛けて食事を終えると、そのまま日本からのお客様をホテルにお届けするというのが定番でありました。スカラ座でのオペラ観賞を所望される方なら、それはそれで充実したミラノナイトライフを過ごせることが出来ますが、そういうお客様は稀であり、大抵はイタリアンを堪能された後では通常はホテルへの案内となるのですが、私が「ミラノとっておきのナイトツアーに皆さんをご案内しますよ」と言えば大抵の方は、このツアーに乗ってくれます。万里さん一行をミラノ夜のドライブツアーと称して、夜の街娼が立ち並ぶ通りに繰り出しました。その通りは、冷やかしや物見遊山の連中やら、値段交渉中の連中やらの車列でいつも渋滞状態です。私の車は、女性三人を同乗させているので、明らかに冷やかしだと悟られていますので、一向に相手にしてくれませんでした。ところが、ひょんなことから一人の飛び切りの美女が、やって来て、ガバッと毛皮のコートを全開させ、全裸姿で我々を挑発するのです。と同時に一行の驚きの声が挙がったのです。その美女の上ははち切れんばかりのボイン、下は男そのものでした。それからが驚愕のパフォーマンス。握り拳三つ重ね合わせてももて余すようなとても長い一物を、これ見よがしにグラインド宜しく振り回すのです。その仕草が真剣この上なく、そしてとても可笑しくて、女性陣はキャッキャ、キャッキャ騒いで車中は大揺れです。いろいろな人をこの手の冷やかし(・・・・)ナイトツアーに連れ出していましたが、このようなパフォーマンスに遭遇したのは初めてでした。程なく欧州旅行から帰国した万里さんから葉書が届きました。「中尾君、ミラノの素敵な夜をありがとう」。
  シモネッタ・ガセネッタの発案の名手を公言して憚からない万里さんとは言え、このシモネッタを格調高い公式サイトで公にするのは少し憚るものがありましたが、私にとっては、忘れがたい思い出ですので「忖度することなく」書かせていただきました。
  「米原万里さん、ありがとう。あなたは、いつまでも私の中で生きていますよ。」

(了)

    
プロフィール

中尾博行(なかおひろゆき)
1950年北海道生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒。東京銀行、東京三菱銀行に30年勤務。その後、半導体・電子部品商社の役員を経て現在は医療法人の財務責任者を務めている。銀行員時代は二度に渡りイタリアに計10年駐在した。
 
『思い出話々』とは

米原万里のエッセイ「単数か複数か、それが問題だ」(「ガセネッタとシモネッタ」所収)に由来する。

ロシアからやってくる日本語使いがそろいもそろって「はなしばなし」という奇妙な日本語を口走る。(略)…この日本語もどきの版元が判明した。日本語学の第一人者として名高いモスクワ大学某教授。 「日本語の名詞にはヨーロッパ諸語によくある複数形はない。しかし一部の名詞にはインドネシア語などと同様、反復することによって複数であることを示すルールが適用される。たとえば、花々、山々、はなしばなし……」
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