思い出話々

このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
元 集英社の鈴木馨さん。万里の初めての長編小説『オリガ・モリソヴナの反語法』を担当されました。 2017.4.1

◆鈴木馨
「オリガ」を作ったひと達(2) 堀内 倫子さん


  文庫の担当、堀内倫子さんは、集英社で私の同期だった。入社して私は少女漫画「りぼん」に配属され、彼女は「週刊セブンティーン」だった。取材して記事を書いたり、本を作りたかった私は、1年目、後ろの方のザラ紙の芸能ページを熱心にやっていたが、芸能誌ではないのでやりづらく、一方芸能誌として認知されていたセブンティーンで、当時人気爆発していた柴田恭兵、三浦浩一の<東京キッドブラザース>に食い込み、颯爽と取材していた彼女は、とても羨ましかった。
  2年目で芸能誌『明星』に移り、晴れて取材、記事を書けるようになった私は、充実した雑誌の編集、記者生活を過ごせ、更にもう一つの念願だった出版部で本を作る、という仕事にも、週刊明星の小説担当を経て、37歳の時に就くことが出来た。
  一方、彼女はその後、会社生活は折り合いがうまくいかなかったようで、10年あまりで退社してしまった。早稲田の文学部出身で、文学、演劇、アート系にも造詣が深く、出版でも生かせる人材だっただけに本当に残念だった。
  その後、彼女はフリーとなり、縁あって集英社の文庫編集部でフリーの編集として在籍するようになり、作家の高野秀行氏らの信頼厚く、彼女らしいいい仕事、本作りをしていて、心強かった。そんな彼女が文庫担当となり、私が最も力を入れて作った本である、「オリガ」の文庫を彼女らしい感性で見事に仕上げてくれたことは、本当に嬉しかった。


単行本・文庫本ともに、装丁には万里が気に入ってロシアから持ち帰った、
無名の画家N・V パルホメンコ氏の絵を使った。

  社では同じ階だったので、たまに顔を合わせて立ち話をしたが、お互い、梅干し作りを趣味にしていることがわかり、その後、毎年8月頃土用に干したその年の梅干しの出来具合を報告し合うことが楽しみとなった。「オリガ」文庫化の過程では、彼女は米原さんに自慢の梅干しを進呈したようだった。
  しかし、2009年の夏のことだった。その年は自宅の梅の出来が悪く、仕事も多忙で、ここ20年で初めて梅干しを作れずにいた。彼女もこの年は作らなかったという。「…作る元気がなくてね」。体調が良くないようだった。
  秋になり、彼女はしばらく社を休んでいた。
  11月、彼女は突然亡くなった。享年55歳。
  凛とした秋晴れの日、鎌倉の大町にある彼女の実家で葬儀は営まれた。彼女を知る人によると、肝機能がだいぶ弱っていて辛そうだったという。酒が好きで、私などよりはるかに強く、楽しく酒を飲んだ新入社員の無邪気な日々が懐かしく昨日のように思い出された。

  20代の頃、毎週のように山歩きをし、又、縁あって米原さんの「オリガ」を担当して、又通うようになり、その後も年2、3回は訪れ、歩いていた鎌倉。『オリガ・モリソヴナの反語法』に関わった三人の大事な人たちが、皆50代であんなに早く逝ってから、気楽に訪れる場所ではなくなった。
  集英社を定年退職し、フリーの編集者として仕事を続けているが、もう少し時間が取れると思っていたのが、予想に反し余裕がなかったこともある。今回、原稿のお話を頂き、この10年の思いにひとつ結着がついた気がしている。

  初めて鎌倉のご自宅に伺った時のこと。北鎌倉への上り道を折れ、お宅に着き、大きな犬達に歓迎されながらバリアフリーの室内に入ると、リビングにはお母様が穏やかな表情で座っておられた。当時米原さんはお母様の介護をしながら、ハードスケジュールで執筆活動をこなしていた。原稿と仕事の殺到ぶりはトップクラスな著者なのに、こうした生活をされていることに感服していると、ポツリと漏らされた。
  「人生、重荷を背負った方が面白いのよ」この一言は、私の脳に強烈な一撃を与えた。凄い言葉だ。“反語法”とも言えるこの米原さんの言葉は、それから折ある度に思い出している。疲れた時、落ち込んだ時など、覿面に元気にしてくれる。幾度気持ちを立ち直らせてくれたことか。
  この稿を書き終えたら、山桜の咲き始める頃、JR北鎌倉駅で降り、源氏山から銭洗弁天を下り、佐助トンネルを抜ける道を再び歩いてみようと思う。あの言葉を噛みしめながら。

    
前へ<   1 ,2 ,3   >次へ
Lists

  NEW
米原万里さんとの思い出
高橋靖典


米原万里さんの思い出(3)
中尾博行


米原万里さんの思い出(2)
中尾博行


米原万里さんの思い出(1)
中尾博行


色鮮やかに 軽やかに
大沼有子


「七夕の夜に、米原万里さんを送る集い」(2006.7.7)追悼VTR

死者と生者のバトン・リレー
金平茂紀


イラク邦人人質事件で露呈したもの
金平茂紀×米原万里


「万里さんとの青春の日々」
酒井京子


「まりちゃんの思い出」
斎藤一


戸田忠祐×井上ユリ

「マリ・ユリがいっぱい」
井出勉


「オリガ」を作ったひと達
鈴木馨


米原万里さんの忘れられない言葉
藤田淑子


忘れられない3つの高校講演会
清川桂美


米原万里展イベント
佐藤優 トークショー
井上ユリ トークショー


米原万里さん没後10年の新刊書に寄せて
黒岩幸子


米原流いい男の見分け方
陸田英子