このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
2017.5.5 ◆鈴木馨 「オリガ」を作ったひと達(3) 平塚一恵さん 『オリガ・モリソヴナの反語法』は、集英社の文芸誌「すばる」に連載された作品だ。単行本担当の私は、この連載の初めからきちんと読んでいた訳ではない。と言うのは、連載開始の1998年3月号の時点では私は翻訳書に在籍していたからだ。 異動してきて、連載の1回目から取ったコピーを読み始め、2章に入って強く引き込まれ、そして、読了し、1930年代のソ連から戦後60年代のチェコ、更に1990年代のソ連邦崩壊後のロシアまでを俯瞰し、激動の時代を生き抜いた伝説の踊り子の謎と悲劇を描く、という物語の骨格がはっきりと現れた時、唸った。この頃、海外の小説でも歴史を背景にした文学性の高いミステリーが注目され、私もスペインやフランスの有力作家の作品を出し、日本に定着させていた。「オリガ」は海外作品に何ら遜色なく、売れて当然、やらなければという使命感が生まれた。 本の刊行時には、新聞・雑誌、マスコミ用にリリース、チラシを作り、送るが、「オリガ」の場合、B5版8ページのものを作り、見本に付け各所に送った。 このマスコミ用パブリシティに多大な貢献をして頂いたのが、オフィス・ブラインドスポットの平塚一恵さんだ。彼女は五木寛之氏、伊集院静氏などのベストセラーを仕掛けた事で知られるパブリシティのプロで、作品を読んで納得しないと引き受けてくれないのだが、「オリガ」は読んで「絶対やる!」と惚れ込んで頂き、50社を超える有力媒体に著者インタビュー、書評の掲載を実現させた。 米原さんの2002年著者インタビューの日程を一部紹介してみよう。
ノーベル文学賞作家、全米図書賞作家の来日インタビューを行ったこともあるが、それらを超える件数の成果で、平塚さんのご尽力には本当に感謝申し上げる。 そして、集英社の会議室での終日取材、各媒体にも出向かれ、御自宅での取材も含め、こちらの提案、お願いを全て受け入れ、全ての取材に快く対応された米原さんには、ただただ感謝するしかなかった。 このパブリシティの成果で、「オリガ」の作品内容、意味、面白さはより広範な読者に届いたと確信している。本は、発売して順調に売れていき、当初は毎月重版がかかり、累計も2万部を超えた。 パブリシティのご尽力にを感謝するため、翌2003年2月、お二人を浅草の普茶料理(精進の中国料理、お体に良かれと選んだのだが、ご本人は美味しい鮨屋の方がお好みのようだったが…)にご招待した時、「N賞だって十分取れる面白さだ!」と平塚さんと私が盛り上がったが、その年の秋、池澤夏樹さんが選考委員の第13回<Bunkamuraドゥマゴ文学賞>を受賞し、作品を正当に評価して下さる方がいたことに、編集者としては心から安堵した。 その受賞後、映画関係者から「オリガ」映画化の話が来た。アメリカで製作したいという企画で、米原さんにお伝えしたところ、話を聞く、ということで、御自宅で打合せを行った。言語は英語で、アメリカ発世界公開、そのためにもまず「オリガ」の英訳版を作る、監督は米原さんから、中国のチャン・イーモウがいいのでは?という提案も出て、まず英訳作成に掛かることになった。残念ながらこの企画は結局約1年後立ち消えとなったが、「オリガ」の作品の評価の証明にはなるだろう。それにしても、映像化された「オリガ」は是非見てみたい。 『オリガ・モリソヴナの反語法』を本にするときのゲラ原稿。万里が直しを赤で入れている。 Tweet |
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プロフィール 鈴木 馨(すずきかおる) |
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1953年、横浜市出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1978年(株)集英社入社。「りぼん」「明星」で取材、編集、「週刊明星」で小説担当を経て、出版・翻訳書編集部へ。英米、ヨーロッパの新しい文学・ミステリー小説を刊行。綜合社、集英社クリエイティブで主に世界文学の作品を刊行。2014年、集英社を退職。現在はフリー編集者。 | ||||||||||||||||||||||
『思い出話々』とは 米原万里のエッセイ「単数か複数か、それが問題だ」(「ガセネッタとシモネッタ」所収)に由来する。 ロシアからやってくる日本語使いがそろいもそろって「はなしばなし」という奇妙な日本語を口走る。(略)…この日本語もどきの版元が判明した。日本語学の第一人者として名高いモスクワ大学某教授。 「日本語の名詞にはヨーロッパ諸語によくある複数形はない。しかし一部の名詞にはインドネシア語などと同様、反復することによって複数であることを示すルールが適用される。たとえば、花々、山々、はなしばなし……」 |