このページでは、米原万里ゆかりの方が思い出を披露してくださいます。
2018.5.21 ◆金平茂紀×米原万里 イラク邦人人質事件で露呈したもの(3) 被害者帰国時の映像 金平 僕はメディアの仕事をしてるので、メディアの内部の問題点というか、それを非常に強く感じたことがいくつかあるので、そういう話をしたいと思うんですが。「自作自演説」というのが、かなり意図的に情報筋から出たというのがあります。 米原 私は直接、政府の会合に出てた人から聞いた。 金平 僕もそういう話は聞きましたけども、ただ、そういう筋というのは一次的な情報ですね。それをどう記事に書くか、という問われ方をしているのがメディアだと思うんです。 米原 四月一二日に共同通信社が配信したんですね、これ。 金平 僕は四月一二日のこの共同通信の記事を見て、驚いたんですけど。つまり「犯行声明文というのが非常に違和感があって、これはホントに日本人が書いたみたいだ」と。一番驚いたことは、「『ヒロシマ、ナガサキ』に対しての言及がある、こんな発想がイラクの人にあるわけがないじゃないか」という趣旨のことを言ってます。 米原 いや、ところがイラク戦争が始まる前に、町中でインタビューしていくと、けっこうみんな、日本っていうと「ヒロシマ、ナガサキ」を連想して、すぐつながるみたいなんですよ。それで、「アメリカに日本もひどい目にあってるんだね」とか、いろいろ気楽に市場のオッサンなんかが声かけてくる。日本人が広島、長崎を忘れていても、向こうではけっこう日本人とつながっているんですよ。 金平 こういう種類の記事が、つまり官邸発とか政府はこのような見方をしている、見方を強めているという、一連の報じ方についての危険さと言うんですかね。これを書いている人たちはおそらく自覚してないと思うんですね。 米原 いや、そう思い込んでいるんじゃない? 金平 思い込んでいたのなら、もっとタチが悪いですけども。もうひとつは、この五月(二〇○四年)に北朝鮮から拉致家族の人たち・子弟たちが帰ってきましたでしょう。二回目の訪問の成果として。それを僕も時差をもってアメリカで見たんですけど、何はともあれ、帰ってきてよかったなというふうに、みんな祝福してましたね、よかったね、よかったねって。それを見ると、理不尽な被害にあった当事者家族の帰国と、このイラクの誘拐人質事件の帰国はとても対照的な風景だったな、と。 米原 犯罪被害者ですよね、両方とも。 金平 同じ犯罪被害者で、その同じ帰国劇が、何で一方はまるで犯罪者みたいにうつむいて帰国しているのか。もう一方は帰国後、喜びの会見とかやるわけですよ。僕は両方とも、それは気の毒な目にあった人たちだから、非常に同情しますが。そのメディアの扱い方の違いの根源は何なのかな、っていうことをぼんやりと考えてたんですよ。一番大きな違いは、被害にあった当事者たちが、その時の国策に沿ってるか否かなんですね。 米原 そうですね。これは明らかですね。二五年間、拉致被害者は無視されてきたんだもの、政府の国策に沿わないから。最近になって騒ぎ出したんですよ、政府は。 金平 マスコミは長いあいだ、見過ごしてきたのではないかという一種のコンプレックスというのがあるから、逆に被害者を絶対化するという、これはいま、メディアによくある傾向なんですが……。 米原 マスコミだって同じように政府の国策に沿って、ホントは情報が入ってたのに無視してたからね、一部を除いて。 金平 僕はマスコミにいるんで、そういうふうに一概にくくられると、すごくイヤなんですけど、それをもう少し相対化してみるという視点ですね。いま言ったような、同じ被害者の帰国劇がなぜこんなふうに違ってしまうんだろうか。その対照的になる理由は何なんだろうか?っていうことを、少なくとも考えなきゃいけないと思うんです。 米原 何か昔の社会主義国のメディアにものすごく近いですよね、日本のメディアは。メディアの、特に威張ってる人とか偉い人たちはね。つまりどの会社でも社長になる人って、政治部出身じゃない? 金平 そうですか?(笑) 米原 私、テレビ局でよく仕事する時に、特に感じたけれども、有力な政治家にいかに近いかということが、何か社内でのステータスにつながってるみたいな感じがして、それがジャーナリストとして上昇していくようなものだと思い込んでいるっていうのは、社会主義国でジャーナリストになろうとしてる人たちとすごくよく似てるよね。政府に対する批判なんて発言しなくて、ほとんど小泉総理のスポークスマン的な人がいる。テレビでもおなじみの某大新聞の記者とかね。よくこれで恥ずかしくないなと思う。新聞社の論説委員みたいな顔して出ていて、あたかも自由な、独立したジャーナリストみたいな顔して発言するから頭にくるのね(笑)。 (つづく) Tweet |
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